このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司であったが、王たちを撃破して帰るアブラハムを迎えて祝福し、
その幕の内に、イエスは、永遠にメルキゼデクに等しい大祭司として、わたしたちのためにさきがけとなって、はいられたのである。
「わたしは何をもって主のみ前に行き、 高き神を拝すべきか。 燔祭および当歳の子牛をもって そのみ前に行くべきか。
わたしはいと高き神に呼ばわります。 わたしのためにすべての事をなしとげられる神に 呼ばわります。
大声で叫んで言った、「いと高き神の子イエスよ、あなたはわたしとなんの係わりがあるのです。神に誓ってお願いします。どうぞ、わたしを苦しめないでください」。
王よ、いと高き神はあなたの父ネブカデネザルに国と権勢と、光栄と尊厳とを賜いました。
こうして彼らは、神は彼らの岩、いと高き神は 彼らのあがないぬしであることを思い出した。
その幕屋はサレムにあり、 そのすまいはシオンにある。
この女が、パウロやわたしたちのあとを追ってきては、「この人たちは、いと高き神の僕たちで、あなたがたに救の道を伝えるかただ」と、叫び出すのであった。
追われて世の人と離れ、その思いは獣のようになり、そのすまいは野ろばと共にあり、牛のように草を食い、その身は天からくだる露にぬれ、こうしてついに彼は、いと高き神が人間の国を治めて、自分の意のままに人を立てられるということを、知るようになりました。
いと高き神はわたしにしるしと奇跡とを行われた。わたしはこれを知らせたいと思う。
しかし彼らはいと高き神を試み、これにそむいて、 そのもろもろのあかしを守らず、
それに対して、アブラハムは彼にすべての物の十分の一を分け与えたのである。その名の意味は、第一に義の王、次にまたサレムの王、すなわち平和の王である。
彼には父がなく、母がなく、系図がなく、生涯の初めもなく、生命の終りもなく、神の子のようであって、いつまでも祭司なのである。
ところが、彼らの血統に属さないこの人が、アブラハムから十分の一を受けとり、約束を受けている者を祝福したのである。